1950年代に京都府宇治市木幡と京都市伏見区にまたがる地域で研究用原子炉の設置が計画され、住民らの反対で撤回された歴史を研究した書籍「京都宇治原子炉」を、地元の男性が出版した。当時の新聞記事や公文書を探し出して豊富な一次史料を集め、関係者への聞き取りも行い、茶業者を中心に市民らが一丸となった世界初の反原子炉運動について伝えている。 【地図】原子炉の設置が計画された場所 原子炉を計画していた京都大などの準備委員会(湯川秀樹委員長)は京都府舞鶴市や宇治市を軸に候補地を検討し、57年1月に宇治市などの旧陸軍宇治火薬製造所跡(約6万坪)を第一候補地に決めた。だが、事故の危険性や風評被害の懸念から、宇治市では有権者の約4割から反対の署名が集まり8月に撤回。京都府和束町や京都府井手町、京都府丹波町(現京丹波町)、滋賀県木之本町(現長浜市)などで誘致の動きがあったが63年、大阪府熊取町に開設された。 書籍は「宇治原子炉設置反対運動史研究会」の玉井和次さん(73)=宇治市=が執筆。原子炉計画の歴史は地元でも有名ではなく、玉井さんは2011年の東京電力福島第1原発事故後に近所の人から初めて聞いた。仙台市で暮らす息子一家への事故の影響を心配する中、「なぜ宇治に計画されたのか突き止めたい」と決意した。 国立国会図書館関西館(精華町)などで過去の新聞記事を集め、当時を知る高齢者に取材し、反対運動の中核だった茶業者の手帳を読み込んだ。京都大と交渉して「客観的な研究には推進派の文書も必要」と準備委の議事録も入手した。 今年10月にまとめた書籍は、原子炉を「絶対安全」とし、研究者の交通の便から宇治に計画した準備委の動きを解説。宇治市議会に保管されていた請願書を基に、候補地の旧火薬製造所が明治時代以降、人的ミスによる爆発事故を重ねていたことも住民の不安の背景にあったと指摘した。 湯川秀樹については、原子力利用を急ぐ国に批判的だったとしつつ、新聞記事には「事故が発生した場合でも決して宇治川を汚染しない」「問題にするのはおかしなことだ」などの発言があったとしている。 玉井さんは「基礎研究が進んでおらず、恐ろしさが研究者にも十分理解されていなかった時代。原子炉計画を安易に考えていた側面もあるのでは」と推測。「先人の努力を風化させたくない。原子力について考えるきっかけにしてほしい」と語る。 A5判253ページ。税込み2200円。群青社。
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