丹波に幻と消えた壮大な鉄道計画があった-。大正時代、現在のJR柏原駅(兵庫県丹波市)から、丹波市青垣町佐治を経由し、同県朝来市山東町の梁瀬地域に至る私鉄「柏梁鉄道」の構想があったことが分かった。旧柏原町長の土田文次が発起人となっている計画書などの史料を丹波市内の有志が調べ、当時の政治家の日記や複数の町誌に、計画があったことを裏付ける記述を確認した。
史料は、1923(大正12)年、鉄道大臣の大木遠吉宛ての敷設免許願や、起業目論見書、6章36条からなる株式会社定款などをとじた約40ページほどの文書と、線路や駅の予定地を示した平面図、高低差を記した縦断面図。現在は同市の氷上郷土史研究会会員、平出護さん(70)が所有している。
縦約35センチ、横約100センチの平面図には、現在のJR柏原駅と重なる「柏原」停車場を起点とし、今も交通量の多い稲継交差点(同市氷上町稲継)のやや北にあたる「稲継」▽商店街の近くで中央小学校(同市氷上町成松)そばの「成松」▽円通寺(同市氷上町御油)からほど近い「幸世」▽青垣住民センター(同市青垣町佐治)辺りの「佐治」-までが、縮尺2万3760分の1で描かれている。
敷設免許願には、発起人として当時柏原町長の土田文次を筆頭に、氷上郡や朝来郡の有力者ら約50人の住所と署名、印が連なる。起業目論見書に添付されている建設費概算書では、柏原-佐治間の延長を「11哩10鎖」(約18キロ)とし、用地費13万8600円、軌道費29万4400円、機関車や貨車など車両費15万円などを要し、総額を100万円と見積もっている。動力は「蒸気」とある。
他にも、営業収支概算書、旅客人員や貨物を書いた運輸数量表などもある。
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史料は元々、土田文次が所有していたとみられ、地元の骨とう品を収集している平出さんが旧国鉄の運転士だったこともあり、2005年に同じく骨とう品を集めている友人から、譲り受けた。
平出さんは「興味深い史料だと思ったが、柏原から梁瀬に至る鉄道計画があったとは聞いたことがなく、公にすべき価値があるか判断がつきかねていた」という。昨年、研究会仲間の地域史研究家、山内順子さん(同市)と行政書士の高見秀樹さん(同市)に史料を見せ、協力して調査を進めた。
旧柏原町出身の政治家で、逓信大臣や農商務大臣などを歴任した田健治郎の日記に当たったところ、台湾総督当時の1923(大正12)年2月22日夜、実業家井上雅二をはじめ氷上郡の土田ら8人と、朝来郡の3人が来訪し、鉄道敷設について「請願の旨趣を述べ、声援を乞ふ」などと書かれてあるのを見つけた。
また、1975年発行の青垣町誌には、1894年にJR福知山線の前身、阪鶴鉄道の敷設が国から認められ「佐治の県会議員衣川栄太郎は、この機会に柏原から佐治を経て但馬に通じる鉄道開設を考え、佐治の実業会の人々に趣意を説明し運動をもり上げようとした」と記されていた。1992年発行の山東町誌にも関連の記述があった。
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平出さんは「図面を見ると、正確に測量がされ、線路はできるだけ直線に、こう配も少なくなっていることが分かる」と感心する。高見さんは株式会社定款について「2006年の会社法施行までの書式や内容とほぼ同じ」と指摘。「計画の本気度がうかがえる」とする。
ただ、実際に計画書が鉄道大臣に提出されたのか、また、なぜ計画が頓挫したのか、確たることは分かっていない。理由として、山東町誌は条件の不備、関東大震災の影響、政争の犠牲などを、青垣町誌は宿場町に人が泊まらず、素通りして町がさびれるため反対があったことなどを挙げているが、いずれも推測の域を出ない。
佐治-梁瀬間についても、史料がなく詳細はつかめていない。山内さんは「調査結果の公表をきっかけに、さらに史料が集まり、但馬との情報共有が進むことを期待したい」と話している。
山内さんら3人は、4月発行の氷上郷土史研究会会報で、調査結果を紹介する予定。(藤森恵一郎)
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February 22, 2020 at 03:30AM
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丹波に幻の鉄道計画 図面や会社定款、史料に「本気度」 - 神戸新聞
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