
16年11月には、島の大半を所有するタストン・エアポート社(東京都)が歩み寄りを見せ、当初主張していた年間5億円での賃貸契約から売却する方針で政府と合意。ただ評価額で折り合わず、交渉は膠着(こうちゃく)状態が続く。 17年9月、米軍厚木基地(神奈川県)で約5年ぶりに行われたFCLPが「ひとつの節目」(日米関係者)となった。昼夜を問わずすさまじい爆音をとどろかせる訓練に地元は猛反発。与党有力議員の地盤でもあり、波紋が広がった。 日本側の抗議に対し、米側が「約束を守っていないのはそちらではないか」と反論。防衛省内には遅々として進まない移転計画への“当てこすり”との受け止めもあったという。 こういった局面で登場してきたのが、菅義偉官房長官(当時)だった。米大使館関係者によると、オバマ政権でケネディ駐日大使が着任して以降、菅氏との月1回の会食が定例化した。その際、米側はFCLP移転計画を着実に進めるよう必ず確認を求めてきた。トランプ政権になっても変わらず、菅氏が深くかかわっていく。
■焦り 「防衛省はやる気があるのか」。この時期、制服組幹部(当時)は菅氏にたびたび詰問された。「沖縄の基地問題と同じ。安全保障というよりも内政課題として移転計画に熱を入れていた」と振り返る。 移転計画は次第に“官邸案件”の性格を帯びてくる。菅氏に近いとされる国土交通省出身の和泉洋人首相補佐官が陣頭指揮を執り、馬毛島の大半を所有するタストン社との交渉を長年担当してきた防衛省の生え抜き職員が外された。 タストン社の立石勲会長(故人)は政府側の焦りを察知し、「国は必ず譲歩する」と強気の交渉を続けた。政府が馬毛島の評価額を民主政権時の20億円から45億円に引き上げると、貨物専用飛行場名目での滑走路建設費などを含めて当初から100億円以上積み増した450億円の売却額を提示した。 沖縄など鹿児島県外の国会議員と接触し、新規の融資獲得を繰り返す足元で、島を担保とした権利関係は収拾がつかないほど複雑化。債権者からの破産申し立てや社長交代の内紛などによってタストン社の経営状態は悪化の一途をたどる。
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