Friday, February 12, 2021

中国の日本侵略計画? 究極の陰謀論「日本解放第二期工作要綱」を解剖する(安田峰俊) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

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新型コロナウイルスの世界的流行とアメリカ大統領選にまつわる一連の騒ぎのなかで、全世界的な社会問題として認識されるようになったのが陰謀論の氾濫だ。コロナは人民解放軍の生物兵器であるとか、アメリカは児童性的虐待と人身売買に手を染めるディープ・ステイトによって操られているといった話が代表的である。

陰謀論は左右の政治思想を持つネットユーザーや論壇人、または幸福の科学や法輪功、行動する保守や新左翼セクトといった、カルト的な新宗教団体や政治団体によって担われることが多い(なお中国系の疑似宗教団体・法輪功とコロナ陰謀論の関係は、拙著『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』[中公新書ラクレ]で詳述している)

陰謀論をひとたび信じてしまえば、たとえ個人レベルであっても、思わぬ恥をかいたり他者に失礼な振る舞いをおこなってしまったり、ひどい場合は人命にかかわる事態すら招く。経営者や政治家のような社会の指導層が陰謀論にハマった場合はより致命的だ。

ときには、「盧溝橋事件はコミンテルンの陰謀」「芸能人〇〇の逮捕は安倍政権の陰謀」のように、陰謀の主体が特定の人々の間で「悪」だとみなされている存在であるケースもある。だが、たとえ「悪」を攻撃するという(主観的に)”正しい”目的ゆえに生み出された情報だったとしても、そもそも虚偽の情報が流布される事自体が大きな問題だ。

■陰謀論の主役はソ連から中国へ

陰謀論の主体として選ばれやすいのは、ひとつはユダヤ人や在日朝鮮人、特定の宗教団体といった、その社会の内部における「弱者」(≒マイノリティ)。もうひとつはアメリカ政府(軍産複合体、ディープ・ステイトなどの変種も含む)やソ連、コミンテルン、ナチスなど、各時代や社会における「強者」である。

なかでも近年、陰謀論業界で主役を射止めることが増えた「強者」が中国だ。これは中国の経済発展や国際的台頭、アメリカをはじめとした西側諸国との外交的摩擦の拡大と軌を一にした現象である。なかでも日本の場合、隣国・中国の脅威を他国に先んじて受けている関係からか、中国を主体とする陰謀論が特に多い。

今回はそのなかでも花形選手ともいえる『日本解放第二期工作要綱』(以下、『要綱』)について考察しよう。これは1972年に発見されたという中国共産党の日本侵略計画を記した極秘文書であるとされている。

■「ファン」の多い怪文書

『要綱』は2017年のベストセラーであるケント・ギルバート氏の著書『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(講談社+α新書)をはじめ、多くの保守系論者の著書やSNS、YouTubeチャンネルなどで繰り返し取り上げられた。

2009年にはなんと、当時は自民党所属の衆議院議員だった小池百合子氏(現東京都知事)が、当時の民主党政権による事業仕分けを批判する文脈のなか、Twitterで「日本解放工作要綱」についてつぶやいた例もある。当然、現在でもTwitterなどで『要綱』について検索すると一般人ユーザーによる大量の投稿が引っかかる。ファンが多い陰謀論だと言っていい。

『要綱』の日本語訳(ひとまずこう呼ぼう)は、Wikipedia記事「日本解放第二期工作要綱」から直リンクが貼られたこちらの個人サイトで読めるのだが、文書の概要を以下にも記しておこう。

  • 日本を「解放」して、その「国力のすべて」を中国共産党の支配下に置き、党の世界解放戦に奉仕させることを目的とする。
  • 文書で記された「日本解放」の第一段階は日中国交正常化、第二段階は日本に親中国的な民主連合政府を成立させること、第三段階は日本人民民主共和国を樹立して天皇を「戦犯の首魁」として処刑すること。
  • 具体的な工作内容は、日本人に中国への親近感を抱かせること、マスコミを籠絡すること、国会議員や与野党および政治団体に工作すること、在日華僑への工作を進めること。

事実とすればなんとも恐ろしいが、安心されたい。この恐るべき日本侵略計画の文書は、99.99パーセント以上の確率でニセモノである。以下に考察しよう。

■怪文書を真面目に考察する

私が考察の底本としたテキストは、『要綱』が世界で初めて公開された『國民新聞』昭和47(1972)年8月5日付(18458号)掲載の文書である。

同号の記事によれば、中央学院大学教授だった西内雅(1903~1993)がこの年の7月に海外視察に出かけた際に『要綱』を入手したので、その全文(の日本語訳)を公開したとのことだ。

『日本解放二期工作要綱』を公開する『國民新聞』昭和47年8月5日付18458号。国立国会図書館蔵のコピーを筆者撮影。
『日本解放二期工作要綱』を公開する『國民新聞』昭和47年8月5日付18458号。国立国会図書館蔵のコピーを筆者撮影。

だが、ざっとテキストを分析しただけでも、以下の問題点を指摘できる。

  1. 作成時期から公開までの時間が短すぎる。
  2. 中国語原文が存在しない。
  3. 中国本土の中国語を翻訳した文書としては不自然な表現が多い。
  4. 文書作成当時の中国共産党の言説としては不自然な表現が多い。

それでは以下、『要綱』が間違いなくニセ文書であるとみなせる根拠を、順を追って説明していくことにしよう。

■作成直後に「流出」した極秘文書?

まずは「1.」について考えよう。文書中にある以下の記述をご覧いただきたい。特に注目してほしい部分を太字にした。

田中内閣成立以降の日本解放(第二期)工作組の任務は、右の第二項、すなわち『民主連合政府の形勢』の準備工作を完成することにある。

(『要綱』「A基本戦略・任務・手段、(2)解放工作組の任務」より)

一九七二年七月の現況でいえば自民党の両院議員中、衆院では約六十名、参院では十余名を獲得して、在野党と同一行動を取らせるならば、野党連合政府は容易に実現する。

(『要綱』「B工作主点の行動要領、(第三 政党工作)(一)連合政府は手段」より)

田中角栄が角福戦争に勝利し、内閣を成立させたのは1972年7月6日(内閣成立は翌日)だ。ゆえに「田中内閣」という言葉を文中で用いている『要綱』の執筆時期は同月6日以降と考えてほぼ間違いない。

いっぽう、西内雅が『國民新聞』紙上で述べるには、彼が『要綱』の文書を入手した北東アジア旅行は「七月四日の南北朝鮮の統一に関する声明」が出る直前に出発、海外滞在期間は「三週間ほど」。行き先は沖縄・香港・台湾・韓国だったとされる。文書の入手元は「毛沢東の指令なり発想なり」を「専門的に分析している組織」だったそうである。

これらから判断すれば、西内雅が文書を入手した時期は1972年の7月7日~25日ごろだ。また、西内雅が『國民新聞』紙上に談話を寄せたのは同年7月30日なので、この日までに文書は中国語から日本語に翻訳され、同紙上での掲載が決定したことになる。

『日本解放第二期工作要綱』を発見したとされる西内雅。『國民新聞』昭和47年8月5日付18458号掲載。筆者撮影。
『日本解放第二期工作要綱』を発見したとされる西内雅。『國民新聞』昭和47年8月5日付18458号掲載。筆者撮影。

西内雅は他の著作などを確認する限り、中国語が堪能には見えない。ゆえに『要綱』が仮に本物だったとすれば、文書の入手から翻訳・掲載にいたるスケジュールは相当慌ただしい。文書提供者があらかじめ日本語に翻訳してくれていたのでない限り、西内雅は帰国から5日以内のうちに原文を1万字以上の日本語に翻訳させ、それを『國民新聞』に売り込んで見開き2ページ以上の特集企画を組ませたことになるのだ。

しかも『國民新聞』の特集記事では西内雅のほかに2人の識者が長文の感想コメントを寄せている。彼らが『要綱』を下読みする時間も考慮すれば、文書の翻訳から掲載決定にいたる所要時間は実質的に3日もあればよいほうだろう。現在と違って中国語(しかも中国本土の簡体字)を理解できる人が少なく、またメールやFAXで原稿を送ることもできなかった当時としては驚異的なスピードだ。

■中国語原文はどこにいった?

もちろん、西内雅と『國民新聞』の周囲に優秀な人材が揃っており、奇跡的なスケジュール進行によって文書発表がおこなわれた可能性はゼロとは言えない。また、西内雅が秘書などを通じて文書だけをより早期に日本へ送っていたとすれば、全文翻訳の掲載まで最大で1ヶ月近い時間があったことになり、それならば翻訳の時間は確保できたはずである。

しかし、これらはあくまでも「日本側では一応可能」というだけの話だ。

視点を中国側に移した場合、当時の中国共産党は田中角栄内閣の成立が確定した1972年7月6日以降に大急ぎで「日本解放」の具体的な作戦方針を決定して、最重要クラスの極秘文書を書き上げたものの、一瞬で文書が流出して日本の民間人の手に渡るという大失態を犯したことになる。綿密な日本侵略計画を立てている悪の組織としては杜撰すぎるだろう。

また、執筆からたった3週間足らずで海外に流出するほどいい加減な管理しかなされていなかった文書の中国語原文が、約50年後の現在まで発見・公開されていないことも不思議である。

中国語の検索エンジンで『要綱』について検索しても、中国大陸はもちろんのこと、中国政府の言論統制が及ばない台湾や香港のサイトにすら原文が掲載されていない。それどころか、『要綱』の話題それ自体がほとんどヒットしない。

1971年3月、林彪らが毛沢東の暗殺計画を練った地下室。40年以上も昔の「陰謀」は、たとえ国家の最高機密であっても大っぴらになっている例が少なくない(江蘇省蘇州市内で筆者撮影)
1971年3月、林彪らが毛沢東の暗殺計画を練った地下室。40年以上も昔の「陰謀」は、たとえ国家の最高機密であっても大っぴらになっている例が少なくない(江蘇省蘇州市内で筆者撮影)

ちなみに、『要綱』が成立する前年に林彪グループが作成した毛沢東の暗殺計画『五七一工程紀要』(1971年3月)は、本物の極秘陰謀文書であるにもかかわらず、中国本土のネット上でも自由に原文を検索して読むことができる。

それならなぜ、作成直後に国外に流出したはずの『綱領』の原文がどこにも見つからず、ネットでもまったく話題に登らないのか。首を傾げざるを得ないところだ。

■大陸の中国語なのに縦書き

また、『國民新聞』に掲載された『要綱』は、仮に中国語の翻訳文であるとすると、不自然な表現がかなり多い。中国語を直訳したとは思えない文章構造が多々見られる点はもちろんだが、ここではより分かりやすい例を端的に示そう。たとえば前出の田中内閣について記載した一文も、よく読むと奇妙な部分がある。

田中内閣成立以降の日本解放(第二期)工作組の任務は、右の第二項、すなわち『民主連合政府の形勢』の準備工作を完成することにある。

お気付きだろうか? 実は中国本土の中国語はほぼ横書きである。特に共産党関連の公的な文書については、横書き以外で書かれることはまず考えられないため、「右の第二項」という表現は通常ありえないのである(「上の」「下の如く」といった書き方にしかならない)。

毛沢東暗殺計画「五七一工程紀要」のメモ。詩などの特殊な場合を除いて、中国大陸の現代中国語は基本的に横書きなのだ。『百度百科』「五七一工程」(https://baike.baidu.com/item/五七一工程)より引用。
毛沢東暗殺計画「五七一工程紀要」のメモ。詩などの特殊な場合を除いて、中国大陸の現代中国語は基本的に横書きなのだ。『百度百科』「五七一工程」(https://baike.baidu.com/item/五七一工程)より引用。

類似の表現は他にもある。

B 右のほか、各党の役職者及び党内派閥の有力者については

( B工作主点の行動要領、(第三 政党工作)(二)議員を個別に掌握)

右の接触線設置工作と並行して、議員及び秘書を対象とする、わが国への招待旅行を左のごとくおこなう

( B工作主点の行動要領、(第三 政党工作)(三)招待旅行)

これらからも分かるように、『要綱』は明らかに縦書き表記の文章を書く文化圏の人間の手で書かれているのだ。縦書きの習慣は日本のほか台湾(ほか香港・韓国の一部)にもあるが、いずれにせよ中国本土の人間が書いていないことは明白である。

■「イ、ロ、ハ」で段落番号を書く中国共産党?

いっぽう、Wikipedia記事「日本解放第二期工作要綱」からリンクが貼られているこちらの個人サイトに掲載されている文章は、おそらく國民新聞社が21世紀になって自社サイト上に掲載した『要綱』を底本としていると見られる。

こちらでは横書きのインターネット文書であるためか、なぜか上記の当該部分が「上の」「下の如く」という表現に修正されているのだが、一方で別の問題が生まれている。

日本の平和解放は、下の3段階を経て達成する。

 イ.我が国との国交正常化(第一期工作の目標)

 口.民主連合政府の形成(第二期工作の目標)

 ハ.日本人民民主共和国の樹立・天皇を戦犯の首魁として処刑(第三期工作の目標)

中国共産党が、工作指令文書の段落番号を「イ、ロ、ハ」で書くわけがないだろう。ちなみに中国語での箇条書きは、「1、2、3」という数字やアルファベットのほかに「甲乙丙丁」も使われるが、いずれも日本でも用いられる表記だ。わざわざ翻訳者がイロハに訳しなおすとは考えにくい。

ちなみに、ケント・ギルバート氏の『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』は、どうやら『國民新聞』1972年掲載のオリジナル版ではなく、ネット上に落ちている『要綱』の文章をそのまま著書のなかに引用したらしく、「イ、ロ、ハ」表記がそのまま掲載されている。講談社の校閲係が何も言わなかったのか気になるところだ。

■「中共」は共産党か人民共和国か?

『要綱』では「わが党」という表現が多用されているので、原文(仮にあるなら)の執筆者は中国共産党の内部に身を置く立場の人間なのであろう。しかし、いっぽうで文中にはこんな表現がみられる。

好感、親近感をいだかせる目的は、わが党、わが国(中共)への警戒心を、無意識のうちに棄て去らせることにある。

( B工作主点の行動要領、第一 群集心理の掌握戦)

一部の日本の反動極右分子が発する「中共を警戒せよ! 日本侵略の謀略をやっている」との呼びかけを一笑にふし

(同上)

中国国内でも「中共」という単語は一応は存在するのだが、これは中国共産党を指す略称であって、中華人民共和国を指して用いられることは絶対にない。中華人民共和国を「中共」と呼ぶのは、台湾の中華民国を正統政府であるとみなす当時の日本国内の用法であって、むしろ当時の中国(中華人民共和国)はこの呼称に強い不快感を示していた。似たような事例は他にもある。

第一歩は、日本人大衆シナ大陸に対し

( B工作主点の行動要領、第一 群集心理の掌握戦、(一展覧会・演劇・スポーツ))

1972年当時の中国人が、中国共産党の内部文書において自国の国土を「シナ大陸」と呼ぶことはありえない。

さらに「日本人大衆」という表記も中国語の翻訳文としてはヘンだ。当時の中国なら、おそらく「日本人民」と書くはずであり、通常であれば「日本人民」は日本語訳される場合でも表記はそのままである。

そもそも中国共産党の1970年代の対日姿勢は、過去に「侵略戦争」を起こした「日本軍閥」の指導者たちと、一般民衆である「日本人民」を分け、後者と連帯する姿勢を基本方針としていたので、『要綱』の論調にこうした要素がまったく見られないのも不自然である。だがいっぽうで、以下のような一節はある。

反面、スポーツに名をかりた「根性もの」と称される劇、映画、動画、または歴史劇、映画、歌謡、並に「ふるさとの歌祭り」等の郷土愛、民族一体感を呼び覚ますものは好ましくない

(B工作主点の行動要領、(第三 政党工作)(一)連合政府は手段)

「根性もの」と「ふるさとの歌祭り」は、原文の中国語でどう書かれていたのだろうか? 当時の中国は文革によって半鎖国状態にあり、党幹部を含めた国民の大部分は海外事情から切り離されていたため、特に注釈もなく「根性もの」と書いて意味が通じるとは思えない。

他にも怪しい点は多いが、いちいち引用するときりがないので以下に箇条書きで示そう。

  • 当時の中国の主要敵国だったソ連の覇権主義に反対する言説がほとんどない。
  • 当時の中国が論争中だった日本共産党への批判や言及がほとんどない。
  • 当時の中国ではごく限られた局面でしか用いられなかった「極左」という表現が出てくる。
  • 毛沢東晩年の中国の文書でよく使われた「プロレタリア文化大革命の偉大なる勝利」や「偉大なる領袖毛主席」などの表現がほとんど出てこない。
  • 日本の右翼団体については東京都内の各団体数まで細かく知っているほど記述が詳しいにもかかわらず、当時の日本で勢いがあったはずの毛沢東主義の新左翼セクトや親中派市民団体(日中友好協会など)への言及がほとんどない。

■「怪文書の常識」に忠実な怪文書

総じて言えば、日本国内のものごとについては右翼団体の数からTVドラマのジャンルに至るまで異常に詳しいのだが、中国共産党のイデオロギーについては異常なほど無知なのが『要綱』の文章である。

普通に考えれば、年配層の日本人(おそらく西内雅本人)が、最初から日本語で記した文書だろう。中国共産党の対日侵略計画を記したはずの『日本解放第二期工作要綱』は純然たるデマで、ニセモノなのである。

ユダヤ人の世界侵略計画とされる『シオン賢者の議定書』や、大日本帝国の中国侵略計画として戦時下の中華圏や欧米で流布された『田中上奏文』と同種の文書とみていいだろう。なお、『要綱』を含めたこれらの文書はいずれも、外国語での翻訳版しか知られてお要らず、原文がこの世に存在しないという共通点があることも指摘しておきたい。

■元ネタは「大仁田襲撃」と変わらなかった

そもそも、『綱要』を掲載した『國民新聞』というメディアもかなり怪しい。同紙は戦前に存在した徳富蘇峰の創刊の同名紙の後継を自称していたが、徳富版の『國民新聞』は戦時中に『都新聞』と合併して『東京新聞』となり消滅。戦後の1966年に“復刊”したことを主張して『要綱』を掲載した『國民新聞』(2015年停刊)とは、組織も人材も資金もほとんど連続性がない。

国会図書館でバックナンバーを確認すると、『國民新聞』は1966年の“復刊”号に「大御心」という大時代的な表現があり、2000年になっても天皇陛下を「聖上」と表記。また、インターネットアーカイブで同紙公式サイト(すでに消滅)から2012年1月25日号の見出しを見ると「大内山に聖寿万歳轟く」「竹の園生のいやさかを」とある。一見、『國民新聞』という一般名詞的な紙名に惑わされがちだが、同紙の実態はかなり特殊な業界向けの専門新聞(政治機関紙?)なのである。

1972年8月、國民新聞社が刊行した『要綱』の小冊子(右)。ちなみに翌年には同じく西内雅によって続編となる秘密文書(左)も暴露されたが、こちらは現在までまったく話題になっていない。筆者撮影。
1972年8月、國民新聞社が刊行した『要綱』の小冊子(右)。ちなみに翌年には同じく西内雅によって続編となる秘密文書(左)も暴露されたが、こちらは現在までまったく話題になっていない。筆者撮影。

また、1972年に『綱要』を入手したと主張する西内雅は、同年に蒋介石の戦時中の演説を収録した小冊子『敵か?友か?』(國民新聞社)の解題を書いているほか、『國民新聞』紙上にしばしば蒋介石や中華民国を賛美する言説を寄せている。他に『国魂 : 愛国百人一首の解説』や『大東亜戦争の終局 : 昭和天皇の聖業』(ともに錦正社)などの著書もある。

すなわち『要綱』は本来、掲載媒体も発表者も読者もごく閉じられた業界でなされた”トバシ”の記事だったのだ。仮に東スポが「大仁田厚、有刺鉄線バットで襲撃される」といった記事を書いても誰も本気で心配しないように、ある意味では“ファン同士のお約束”の文脈内で共有される一種のネタだったとも言える。日中国交正常化を控えた当時、それに不満を持つ右翼や親中華民国派の人たちは、ウソを承知で溜飲を下げたかったのである。

事実、『綱要』は発表当時ほとんど話題にならず、その後もながらく歴史に埋もれてきた。文書発表の6年後に毛沢東や周恩来が死に、1970年代を通しては中国が対ソ連戦略から日本に接近を進め、やがて日中蜜月時代と天安門事件とソ連崩壊があり、中国が豊かになり北京五輪が成功し、いっぽうで日中関係は冷却化して中国が台頭し、新型コロナウイルスのパンデミックが起こり……。と、すでに日本も中国も国際情勢も大きく変わっている。

1972年時点で作られた粗雑なデマが、何の現代的意味も持ち得ないことは明らかだろう。

■2ちゃんねるが復活させた怪文書

それでは、忘れ去られていた45年前の偽文書が、なぜ遠い未来の21世紀になって、小池百合子のTwitterアカウントで紹介されたりケント・ギルバートのベストセラー書籍で紹介されるほどの市民権を得たのか?

背景にあるのはインターネットだ。『綱要』は2002年に『動向』というマイナー雑誌(発行元が國民新聞社と同住所)に再掲載され、やがて國民新聞社の公式サイト(現在は閉鎖)に掲載された。おそらくこの版の文書が、『2ちゃんねる』(2017年5月以降は『5ちゃんねる』)などでコピペ転載され、まことしやかな装いをまとってしまったようなのである。

2003~2004年ごろから現在までの、『2ちゃんねる』の過去ログを収集・保存する『ログ速』というサイトがある。このログ速で「日本解放第二期工作要綱」を全文検索すると、最古の書込みは2005年5月3日に「共産党」板の某スレッドに貼られた『國民新聞』ホームページのリンクだ。

次の書込みは2008年3月と5月だった。この時期の『2ちゃんねる』で盛り上がっていたフリーチベットブームと嫌中国ブームを受けて、初めて『要綱』の具体的な内容がコピペ的にスレッドに貼り付けられはじめたのだ。当時の『2ちゃんねる』ではオールドタイプの保守系団体の関係者と思しき人たちがオルグ目的でコピペをバラ撒く行為がしばしば見られ、こちらの拡散もおそらく同様の背景があったのだろう。

■まとめブログがやってくる

その後、『2ちゃんねる』では『要綱』のコピペ掲載が散発的におこなわれる状態が続くが、なぜか2016年ごろからあちこちのスレッドに下の画像の文章が数多く貼り付けられるようになった。

2016年ごろから増加した日本解放第二期工作要綱に関するコピペ
2016年ごろから増加した日本解放第二期工作要綱に関するコピペ

URLのリンク先は、ネット右翼向けの記事を多数掲載している、政治系のまとめブログやYouTubeチャンネルだ。運営の目的は右翼・保守的な言説を広めることそれ自体ではなく、扇情的な見出しを掲げてアクセスを稼ぐ商用目的の側面が強そうに見える。2016年ごろから同サイトの記事にリンクしたコピペがやたらに『2ちゃんねる』に貼られはじめたのも、サイトへの誘導宣伝が目的だったのかもしれない。

だが、ウソでも100回言えば本当になる。45年前に日中国交正常化に怒ったオールドタイプの右翼たちが仲間内の新聞でデッチ上げたヨタ話が、21世紀になって公式サイトと2ちゃんねるを通じて拡散。やがて政治系のまとめブロガーやYouTuberがこれに乗ったことで知名度が上がってしまい、ついに国会議員が信じ込んだりベストセラー本で真面目に紹介されたりするほどの市民権を得てしまったわけである。 

■中国の覇権主義が事実だからこそ陰謀論は潰せ

念のため言っておけば、現代の中国は日本を含めた周辺各国をターゲットにした軍事的プレゼンスの拡大や統一戦線工作の実施、プロパガンダによる情報工作といった各種各様の攻撃的な政策をひそかに策定し、実行に移している。拙著『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)でも、華人の伝統的な秘密結社・洪門のコネクションや孔子学院を利用した統戦工作についてかなり多くの紙幅を割いて説明した。

なので、中国の覇権主義的な行動を警戒する姿勢自体はなんら間違いではない。だが、それだからと言って明らかなニセ文書をまことしやかに紹介し、積極的に拡散する行為が許されるわけでもない。事実としての脅威を前に、対象のリスクを過大・過小評価するデマを流布する行為がいかに罪深いかは、未曾有のコロナ禍にあえいでいる現代の私たちがなによりも身をもって理解しているはずだろう。

『要綱』と同じく、しばしばネットで拡散される日本侵略図。「中华」という簡体字が使われているのに、「東海」「解放軍」は繁体字のまま(さらに「予定図」の「図」は、大陸では「图」、台湾などでは「圖」と書くはずだが日本の漢字が使われている)。加えて「倭人日本自治区」は中国国内の語法なら「日本倭族自治区」となるはず……と、明らかに不自然で作り込みが甘い。
『要綱』と同じく、しばしばネットで拡散される日本侵略図。「中华」という簡体字が使われているのに、「東海」「解放軍」は繁体字のまま(さらに「予定図」の「図」は、大陸では「图」、台湾などでは「圖」と書くはずだが日本の漢字が使われている)。加えて「倭人日本自治区」は中国国内の語法なら「日本倭族自治区」となるはず……と、明らかに不自然で作り込みが甘い。

21世紀に入り新たに生命を吹き込まれた偽書『日本解放第二期工作要綱』は、今日もネットや書籍を通じて広がり続けている。コロナデマとQアノンの登場に先んじて存在してきた、ビッグスケールの陰謀論なのである。

※なお、筆者は本記事と同様の考察をそれぞれ2017年9月1日、11日付の『JBPress』誌上に寄稿しているが、記事が会員限定公開となっているうえ、執筆は3年半も前の話だ。コロナ陰謀論とQアノンが花盛りとなっている現在のご時世において、再度紹介しておく意味はあると考えたので、大幅な加筆編集のうえでこちらでも掲載する。

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