俳優の長谷川博己が主演を務めるNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(毎週日曜20:00~)。智将・明智光秀(長谷川)の謎めいた前半生に光を当てながら、戦国英傑たちの運命の行く末を描いてきた物語も、残り2回となった。このたびオリジナル脚本を手掛けた池端俊策氏が、本作を書き終えた心境や主人公・光秀への思いなどを語った。
新型コロナウイルスの影響による約3カ月の放送休止を乗り越え、2月7日の第44回で完結する『麒麟がくる』。最終回で歴史的大事件である「本能寺の変」が描かれ、二人三脚で大きな国づくりを目指してきた光秀と織田信長(染谷将太)は、悲劇的な結末を迎える。
2度目の大河ドラマ脚本を手掛けた池端氏は、全44回を書き終え、前回の『太平記』(1991年)と『麒麟がくる』の共通点を感じたという。
「前回、大河ドラマの脚本を書いたのは、室町幕府を描いた『太平記』でして、150年近く続いた鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(真田広之)のお話でした。今回の『麒麟がくる』は、200年以上続いた室町幕府を滅ぼす流れを作った人物たちのお話です。古いものと新しいものとの狭間で何かを変えていくというのは、やはり重荷だし苦しいんですよね。そういった点では、似たような人物を描いたなという実感があり、歴史は繰り返すんだなと思いました」
本作では、新たな解釈で光秀や信長ら武将たちの心情を丁寧に描いてきた池端氏。「物語の後半は、一人一人の心理の葛藤が、書いていておもしろかったです。もちろん、それぞれ個性的な登場人物だったということもありますが、緊張感を強いられる中で人間を見つめるという作業はこのドラマの中でできたかなと思っています」と振り返る。
そして、「光秀は僕だと思って書いていました」と告白。「そこに、長谷川さんが見事に入り込んでくれたなと思います。光秀は相手が言ったこと、行動したことに反応する“受ける芝居”が多くて、脚本も『……』となっていることが多いです。解釈の仕方や受け止め方、大げさに反応したらいいのか、ちらっと瞬きをする程度の反応なのか、大変難しい役だったかと思います。僕は光秀が長谷川博己さんで大正解だったと思っています」と長谷川の演技を称賛した。
光秀の心情に寄り添って描いてきた池端氏。「光秀は真っすぐな人間です。光秀と道三(本木雅弘)との関係もそうでしたが、相手をどんどん倒していく野性的な道三に、光秀が振り回されてしまうことが多いんです。信長(染谷将太)も道三と同じように、天才肌ですし、感覚的に動く人間です。ですが、母親が愛してくれず、母親が愛した弟の信勝を暗殺するという、屈折した部分もあります。その信長を危なっかしいと思いつつ、この人の行動力があれば世の中を統一できるんじゃないか、戦乱の世を終わらせられるのではないかと思い、一種の友情関係を維持して一緒にやっていくわけですよね。しかし、最後はこの人の元では平和な世は来ないと、その信長を殺さざるを得なくなるという、非常に悲しい運命になるので、そういう光秀のつらい気持ちを描きました」と、信長との関係性の変化を解説した。
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