声を聞かないという単純で究極の加害
「結婚当初は色々喧嘩もあったが、最近はすっかり落ち着いていた。いきなり妻と子どもがいなくなって困っている。一体なぜ彼女たちはちゃんと話し合いもせずにいきなり出ていくのか、非常識だ」(妻と離婚調停中の男性) DV・モラハラ加害者が、愛と配慮のある関係を作る力を身につけるための学びのコミュニティ「GADHA」を主宰しているえいなかと申します。 僕自身もDV・モラハラ加害者です。そのせいでたくさんの人を傷つけ、仕事や家庭が破綻寸前になってようやく自身の加害行為、それを生み出す加害的な思考・価値観について省みるようになりました。 この連載では、僕自身の経験や当事者会での気づきを共有していきます。職場や家庭でモラハラに苦しんでいる方々、行ってしまっている方々の参考になれば幸いです。 DV・モラハラ加害者の当事者会をやっていると、多くの共通点が浮かび上がってきます。その一つは、終わりが唐突だということです。家に帰ったら荷物と共に妻や子の姿が見えず、連絡はつかず…いきなり弁護士からの連絡が来て動揺、混乱、不安、怒りなどの感情に襲われるのです。 一体なぜ被害者の方々は「ちゃんと話し合いもせずにいきなり出て」いったのでしょうか。その答えは単純です。「どうせ加害者と話してもしょうがない」と判断したからです。それはなぜでしょうか。
「相手にわからせる」ことは話し合いではない
それは、加害者は被害者と話し合いをしてこなかったからです。被害者が話し合いを求めても、加害者がそれに応じてこなかったからです。 「いや、俺はちゃんと話し合ってきた。相手が話し合いから逃げたんだ」という声が聞こえてきそうですが、おそらくそんな人がしてきたのは話し合いではなく「わからせる」ことだったと思われます。それは話し合いではありません。 DV・モラハラ加害者の多くは「自分は論理的で口喧嘩が強い。相手は感情的だからわからせてやる必要がある」と思っています。 パートナー間で行われる話し合いとは、残念ながらディベートではありません。どちらかが正しいかを競うゲームでもありません。 パートナー間で行われる話し合いとは、お互いの認識がズレているときに「お互いの違いを認め合いながら、現状と違う良い妥協点」を見つけていく作業のことです。 ですから「論理的で口喧嘩が強い俺が相手にわからせてやるため」の言葉は、話し合いではありません。 話すことと同じかそれ以上に大事なのは「相手に話してもらうこと」であり、そのために聞くことであり、それに合わせて自分の考えは変わるかもしれないという柔軟性です。 相手が何か言うたびに「それはおかしい。間違っている。なぜなら~」と言う人は、相手の声を聞いていません。 人は声を聞かれないと、声をあげるのをやめます。無意味ですし、なにより傷つくからです。話し合いではなく一方的な「わからせる」コミュニケーションは、一緒に生きていきたいと考える人の気持ちへの最大の侮辱であり攻撃です。
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