【連載】城旅へようこそ
日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は大河ドラマ「青天を衝(つ)け」ゆかりの城の第4回。主人公の渋沢栄一が若き日に襲撃を計画した高崎城(群馬県高崎市)です。 【画像】もっと写真を見る(8枚)
高崎城乗っ取りは未遂に
若かりし頃の渋沢栄一が、襲撃をもくろんだ城がある。大河ドラマ「青天を衝け」でも重要なシーンとして描かれていた、高崎城の乗っ取り計画だ。尊皇攘夷派だった栄一は、尾高惇忠や渋沢喜作らと攘夷蜂起を目的に同志を組織。高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜の外国人居留地を焼き討ちする計画を立てていた。尾高長七郎の説得により実行されなかったが、これを機に京都に逃がれ、平岡円四郎の働きかけで徳川慶喜に仕えることとなる。 高崎城は、JR高崎駅から徒歩15分ほどのところにある。城域は現在、高崎市役所や高崎城址(じょうし)公園となっていて、激戦が起きていたかもしれないと思わせる不穏さは一切ない。中心部に城の建物が残っていないのは、明治時代に陸軍省の管轄となって歩兵第十五連隊の兵営地となったから。時代ごとの変化に思いをはせられる城跡だ。
井伊直政が徳川家康の命で築城
高崎城は、1598(慶長3)年に、井伊直政が徳川家康の命により築いた城だ。1590(天正18)年、豊臣秀吉による小田原攻めの後に北条氏に代わって関東入りした家康は、はじめは直政を箕輪城(みのわじょう、群馬県高崎市)に置いてこの地の支配を任せたが、新たに高崎城を築かせた。 直政が関ケ原の戦いの後に佐和山に転封(てんぽう)となると、高崎城には酒井家次、松平康長、安藤重信などが入城。中山道と三国街道の分岐点にあるため重視され、譜代大名が城主を務めた。1717(享保2)年に松平輝貞が入ると、以後は松平氏が明治維新まで居城とした。 高崎城は広大な城で、北条氏時代にこの地を治めていた豪族・和田氏の和田城を取り込む形で築かれたとされる。本丸や二の丸はほぼ残っていないが、三の丸を囲む土塁と堀がよく残り、その広さを感じることができる。決して防御性の低い設計ではないが、平地に築かれた城であることから、栄一たちは襲撃しやすいと考えたのかもしれない。
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